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2012年2月10日 - 千葉で安心の出産をするなら武田助産院

tel:047-488-0311

私の出産記

2012年2月10日

公開日:2012年07月11日(水)

私の妊娠最後の臨月は、一向に開かない子宮口と、一向に来ない『おしるし』と、大きくなるお腹との格闘の日々でした。
2時間のウォーキングに夫と母が交代で付き合ってくれたりと、本当に家族みんなで迎えた出産でした。

2月9日、『おしるし』も破水もないまま陣痛が10分おきに来て、武田助産院に電話。一度内診してみようとの先生の判断にて急ぎ助産院へ。
内診では10分間隔で陣痛はきているものの、子宮口が固く5ミリしか開いておらず…。
「ゆっくりお風呂に入って、10分きって8分間隔になったら、すぐ来て」と先生の判断で一時帰宅。
帰宅してお風呂に入り出したら、5分間隔に!
波のように押し寄せてくる陣痛を呼吸で逃しながら、用意をして大慌てで、いざ出陣!
武田助産院に到着してすぐに内診へ。ところがやはり子宮口は指1本分も開いておらず、先生の顔も渋めでした。

9日18時に入院。
そこからは陣痛を呼吸で逃しつつ、先生の気持ちの良い腰のマッサージを受けながら、『おしるし』か破水のくるのを待つだけの時間がだただ過ぎました。お産は長丁場になるものと先生も含めて皆そう思っていました。
事態が急変したのは0時を回ってすぐのこと、今まで吸って吐いてのスースーフゥ、スースーフゥの呼吸だけで逃せられていた陣痛に、スースーフゥー、グググゥーンと、動物のような唸り声が混じるようになって、そこからは湧き出してくるパワーになすがまま!

自分に何が起こっているのか想像もつかずにのんびり構えていた私、母が先生を呼びに行って戻ってきたときには、私の頭の中は「もう、ここ(部屋)で産むー!」という状態に。
赤ちゃんが股の間にいるような感覚もあって、マタも開いて産みの態勢・状態。先生の「分娩室行くよ!歩ける?」の言葉に、冗談抜きで「歩けない」と答えた私。
1人では歩けなくなった私を、先生と母で抱えて分娩室へ。分娩室に移動してからは、先生の早回しのようなすごいスピードでの動きが忘れられません。

陣痛に付き合うためにだけ付き添ってくれた母も、訳がわからぬまま分娩の立ち合いに。
私が分娩台に乗ったのが0時15分。そこからはあふれでてくるエネルギーに圧倒されながら、先生と菅谷助産師さんの呼吸の掛け声のリードに支えられて、先生も想定外、母も予定外の、分娩台に乗ってから1時間後の1時12分に、ちょっと大きくて夫にそっくりな女の子誕生。

まさか娘の出産に立ち会うことになろうとは思いもしなかった母は、足が震えて腰を抜かしそうだったそうです。
私もまさか母の立ち合いのもと出産になるとは思わず、10年以上別々に暮らしてきた私たち親子が、私の出産で新たな共通の思いができたのも武田助産院で出産できたからだと感謝しています。
母も私を産んで、私も娘を産んで、いろいろあった私たちが親子であるつながりも、再確認できた瞬間でした。

27歳で繋留流産をしてから30歳までに3回流産を繰り返した私が、武田助産院にたどりつくまでには長い道のりで…。
今思うと、アトピー性皮膚炎とステロイド薬による副作用との長い闘いの日々、不妊治療とホルモン剤と格闘して泣いた日々、妊娠について考えさせられた日々、流産での入院経験での産婦人科への不安や疑問の数々、すべての経験が武田助産院まで導いてくれたように思います。
「もし、この子を産めなかったら私の場合、この出産が一生で一度になるかもしれない」そう思ったら、自分の持つ力だけで産みたい想いが強くなって必死に助産院を探して、気が付けばいろいろな縁も重なって武田助産院に押しかけていました。

こんな体質の私を武田先生は嫌な顔もせず受け入れてくれて、マイナートラブルばかりを抱えた妊娠生活を支えてくれました。本当に感謝しています。
健診に夫も参加できたこともすごく良かったです。出産も夫婦で乗り越えられたように感じています。夫も喜んでいましたし、学べたこともおおかったようです。
ここで女性の体の扱い方を学んだことは、これからの私の生活を楽にしてくれると思います。