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私の出産記 - 千葉で安心の出産をするなら武田助産院

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私の出産記

これまでに当院でお産をした方の感想や、奮闘の記録をご紹介しております。

当院でお産をした方たち

2021年7月19日

公開日:2022年10月21日(金)

 去年の夏、八千代中央図書館で子どもたち同士が仲良くなったのをきっかけに知り合ったママ友から、抱っこしている赤ちゃんは武田助産院で産んでとても良かった! 楽なお産だったと聞き、楽なお産? そんなのあるのかな? どういうこと? ととても気になり、私も3人目を授かったらいってみたいなぁと思っていました。

 長女と長男は2人とも切迫早産だったので36週に入るまでは、産婦人科に通い、予防として張り止めの薬を飲みながら過ごしました。このまま通いなれた産婦人科でもいいかなぁと思っていたのですが立ち合いをしてもらいたい、助産院でも出産してみたい思いもあり、ギリギリになってこちらへ連絡をさせて頂き、受け入れて頂いてから急ピッチで両親学校、健診、とても丁寧で親身になって下さるご対応に感謝でした。

 

 今回の出産では、冷えは身体の不調をきたすことを教えて頂き、自覚できなかった冷えを感じることで身体のケア、内側を意識していこうと思えました。長女の立ち合いは初めてでテンションの高い長女を陣痛中、そばに置くのはキツイ! と思った瞬間もあったのですが、藤澤さんが腰をさすって下さるのがとても気持ち良くて安心でき、足湯も痛みのなか良く分からなかったのですが、身体が温まりお産までの時間があっという間だったのかなと…、ラストスパートが早かったのですが、やはり最後は痛い! 先生が「下を見て! おへそを見る感じ!」と言って下さり、その姿勢で痛みが和らいだのを感じたり、長女と主人の手を握って握りしめて最後耐えられたのを覚えています。

 出産直後から赤ちゃんとずっと一緒なのは今回が初めてで、今までの産婦人科では夜間は別室で、いろいろな違いが初日は戸惑い、一気に初心者気分で一夜を過ごし不安だらけでしたが、ここを紹介してくれたママ友から偶然連絡をもらい、夜間同室は愛着形成に良かった! 居心地良くて退院したくない程だったこと、産後の回復が早かったと前向きな話を聞いてそのイメージで2日目を迎えられ、日に日に実感していきました。

 隣にいる赤ちゃんを見ていると上の子2人の時には、まだまだ必死で感じることのできなかった愛おしさがあり、初日に先生から無理に授乳しなくてもいい、泣かせてもいいと言われたこともあり、気持ちを楽に構えることができ、今までは泣いたらすぐに授乳し、それでも泣いているとなんでなの? と特に一人目のときは気が狂いそうになってしまいましたが、泣いている理由はおっぱいだけじゃないことも今回3人目にして実感し、泣いている姿をそっと見つめながらトントンしてみるとおならが出てきたり、抱っこして欲しかったんだと分かり赤ちゃん自身に寄り添うことで今までとは違うものを感じ始めています。

 

 最初から最後まで、毎食毎食一つ一つの食事に感動してこんなにも食事を味わって食べたことがないくらい美味しく頂きました。今まで自分が作っていた料理は一体何だったんだろうと…、主人から味が大雑把と言われたことを思い出し、確かにそうだったと…食事からこんなにも愛情と力を頂けて、今後家族の食事作りにおいても少しでも改善…生かしていけたらなぁ! と思っています。産後の傷口はクリップでくっつかなければ、縫うことになっていたのですが、第一子のとき縫い跡が痛くて産後しばらく歩くのも苦痛だったほど嫌な想い出で、それだけは避けたいと思ってドキドキしていました。

 実際、先生に縫って頂き、痛みを感じることなく傷口もきれいになっているとのことでした。料理にしても傷口の処置にしても先生の細やかな配慮やプロ意識みたいなものを感じて、こちらで出産させて頂けたことに感謝でいっぱいです。お部屋は和室で夜は置き型ライトの素敵な灯りと日中は鳥のさえずり、夏の虫たちの声に周りの自然に癒され、心身共に癒されました。いろいろと心配性な私ですが、おっぱいは張らなくても出ていること、赤ちゃんは飲めていても夜中起きるもの、安心して今日から3人育児をスタートできそうです! ムリせず…来て下さる助産師さんスタッフさんは、みなさん優しく丁寧で先生の大きな愛情の懐のもと貴重な経験をさせて頂きました。こうしないと! ああしないと! という思いから解き放たれました!

 

 

2021年6月23日

公開日:2022年10月21日(金)

 今回第1子出産で武田助産院を選んだ一番の理由は、コロナ禍の状況での中、唯一立ち会いが可能だったことでした。

 妊娠4か月の時に初めて伺い、毎回夫も一緒にエコーを診たり、先生や助産師さんとお話しながらの健診は、とても楽しみな時間でした。

 途中逆子になってしまい、さらしやお灸、逆子体操などを取り入れて、妊娠9か月目には何とか治りホッとしたのもつかの間… 34週の時に突然、切迫早産になってしまい、八千代医療センターへ救急搬送。ここで出産できなくなってしまうのでは…、とそればかりが頭をよぎってしまいましたが、「無事退院したらここで産んでいいよ」と先生が言ってくれたので安心しました。

 入院後は武田助産院で出産したいのなら37週になるまではずっと入院するしかないと言われてしまい、とても辛かったですが、立ち会い出産したいという気持ちは変わらなかったので頑張ることを決めました。

 なんとか37週0日目で無事退院でき武田助産院へ。「おかえりー!」と言ってもらえて嬉しかったです。一旦帰宅も許されてホットしましたが、その時間も1日だけでした。

 

 次の日のお昼すぎから切迫早産と言われた時と同じようなお腹の張りと痛みが…、だんだんと5分間隔に近づきお腹の張りも増え、おしるしも確認! 産院へ到着し「陣痛がしっかり来ている」とのことでそのまま入院! 今日中には産まれるかもとのことで、とても緊張したのを覚えています。

 夕方からはどんどん痛みが強くなり、22時頃には腰をさすってもらわないと耐えられないくらいの痛みだったように思います。ただ内診しても産まれるのはまだまだとのこと… 絶望感と増える一方の痛みですでにギブアップしそうでした。

 日付を越えるころから歩くこともままならず、痛みや吐き気で体力を奪われていき、このあたりからあまり記憶がありませんが、最後の2時間くらいは陣痛の波に合わせてくる肛門付近の違和感(今思えは赤ちゃんが降りてきている感じ)と力を入れたら産めそうなのに全然産めない感覚がとてもとてもつらかった記憶があります。

「まだですか? あとどのくらいですか?(お尻から)なんか出そう!」とそればかりを繰り返していた気がします。やっと分娩台に上がり四つん這いでいいから! とのことでそのまま痛みに叫び続け、いきみを数回したところ「バチン!」とお腹の中でパンパンの水風船がはじけるような音がし、すぐ破水したんだと分かりました。

 そのあとは3回ほど全力でいきんだ後、赤ちゃんの頭が出た感覚が分かりました。そのあとは「もう力入れないで、フーフーと息をして」と言われているのにどうしても力が入ってしまい、おそらく怒られていたような気がしますが、意識もうろうでここもあまり覚えていません。

 それでも先生と助産師さんで赤ちゃんを取り上げてくれて、夫が「産まれたよ!」と教えてくれわれに返り『ちゃんと泣いているかな? 女の子かな?』と自分でチェックする余裕も…、赤ちゃんと対面後、本来なら家族で感動の時間を過ごして…と想像していたのに傷口の痛みと子宮復古の痛みがすぐに襲ってきて耐えるのに必死でした。『やっと産んだのにまだこんなに痛いのか』と涙が出ました。

 

 産後はおっぱいが上手にあげられなかったりと想像とはかなり違いましたが、それでも無事にこうして産むことができて、とても嬉しく思います。もし立ち会い出産ができなかったら、私一人でこんなにも頑張れなかったと思うと、ずっと一緒にいてくれた夫には本当に感謝です。

 そして初めての経験で全く訳の分からない状態だったのにちゃんと産ませていただいて、先生はじめ産院のみなさんに本当に感謝しています。貴重な経験をありがとうございました。

 


2021年6月14日

公開日:2022年07月27日(水)

 上の子2人は里帰りで、実家近くの病院で産みました。3人目の今回は長男の学校や母に手伝いに行くから来るな(実家だと二中子どもたちの預け先がなく、ずっとの相手は体力的に限界らしい…)と言われたので、こっちで産むことに。

 もし3人目があるなら助産院と思っていたので、家から一番近いここを見学して、即決めました。
 妊娠中は上2人のときになかった、むくみ、逆子、終わらないつわり。これらをすべて冷えと一刀両断され。検診のたびにお尻や足首、手を冷たいと言われ、レッグウォーマー、おしりに玄米カイロ、さらし(3人目にして初めて巻いて、腹巻とは段違いのあたたかさにびっくり)お灸。

 健診のあとに武田先生に巻いてもらうさらしは、いつもお腹にフィットしていて心地良かったです。逆子もなんとかなおり、どんどん増えていっていた体重も横ばいになり、37週で内診。まだまだ子宮口に届かず、かたい。

 6月11日の健診も同じでまだまだだなと話してました。


 6月14日(月)

3:30 ふいに漏れた感覚があって起きる。尿かと思ったけど、続くので破水! としばらくして気付く。同時に陣痛も。7~10分間隔で…。
5:30 夫や子どもたちが起きてきて、破水したかも? と。まだ動けるのでごはん食べようとなり、母に用意してもらってみんなで朝ご飯。
7:00 先生に電話。「破水したかも?」「えっ!」「でも陣痛もあります」「よかったー」なんて会話してすぐ行くことに。
7:45 内診すると子宮口に届かず。和室で過ごす。陣痛の間隔が20分ぐらいになることも。
11:00 夫と子どもたちが道の駅にお昼を買いに行くと話すと一緒に行ってきたらと言われ、歩いて行った。が、定休日で車で別のお店で購入。
12:30 戻ってきて内診するも、どうにか届く程度。でも5分とか間隔は短くなってる。合間にごはんを食べたりもしていたけど、ある時からそれもできなくなり、布団に横になって陣痛を過ごす。

 だんだんと痛みが強くなり、陣痛くるたびに「痛―い」と叫ぶように。その頃から腰をさするのは助産師さんで、私は夫にしがみつくように。陣痛がくる度に「かーちゃん泣いてない?」と確認に来る長男。

 陣痛がくる度に「はい! かーちゃん!」と飲み物を飲まそうとする次男。最後はわたしの叫び声か血なのか、びびってとなりの部屋に逃げた子どもたち。痛みが腰からお尻にきたあたりから、さらにわたしの叫びは増し、いろいろ言っていたと思う。

 そんな中、わたしの腰をさすってくれ呼吸の声かけしてくれ、いいよーと言ってくれた助産師さんたち。めっちゃ叫んでいたけど、あの温かさはきちんと覚えています。

 頭が出てきたときは、触ってみる? と言われ、頭触りました。そのときだけ、血があちこちつくと拭いた自分、冷静だった。

15:10 あまりの痛さだったけれど、最後出てくるのがわかった瞬間には泣き声と共に赤ちゃんがわたしの胸にいました。一瞬にしてゆるんだわたし。


 実はバースプランで書いていた体勢と違うスタイルでした。藤澤さんは気にかけてくれていたけど、わたしに体勢を変える余裕が全くなしでした。でも、胸の上にいる赤ちゃん見たら、それで十分幸せでした。子どもたちにもこの同じ瞬間を感じて欲しくて、呼びに行ってもらいました。子どもたちがわたしの胸にいる赤ちゃんを見たときの顔。それが見られてまた幸せな気持ちになりました。家族5人でこの時間を共有できたこと、とてもうれしかったです。
 陣痛のときは、あまりの叫びにほんとにお騒がせしました。それを励ましてくださり、本当にありがとうございました。そして、赤ちゃんが出て来たとき、わたし幸せなお産できた! と思えたのはこの環境で産めたからです。

 この幸せとありがとうの気持ちは、わたしのこれからの宝物です。ありがとうございました。
 入院中は、ゆっくり休むことができました。おっぱいのトラブルもあまりなく、日中ほんとに誰も来ないので、むしろ少し寂しいというか、な気持ちも一瞬あったりもしたけれど、それはほんとにゆったりの時間を過ごせたということ。

 うぐいすの鳴き声聞いたり、風が吹いてきたり。自然を感じられたのも良かったです。ごはんも毎食とてもおいしかったです!
 すべてに感謝です。

 

 

2021年5月14日

公開日:2022年07月27日(水)

 今回、初産。お世話になりました。妊娠32週で転院してきました。

 コロナの為、面会、立ち会い共に出来る所がないのか調べ、母が助産院で出産した事もありギリギリで転院を決めました。転院する事に不安があったのですが、温かく迎えてくださり、見学の際も細かく説明、不安な事はないか寄り添って聞いて下さり安心しました。
 32週で転院。予定より早く38週で出産になったので、健診は数回で終わってしまいましたが毎回とても丁寧に診て下さりホッとしていました。
 分娩時には、ずっと優しく声かけや腰をさすって下さり、何の知識もない私にとって、とても心強くいられました。入院中も分からない事は聞きやすく、充実していました。

 ここでのお産でなければ、バースプランを叶える事も入院生活を充実させる事も出来なかったと思います。不安だらけの転院でもありましたが、大変お世話になりました。


2021年5月8日

公開日:2022年07月27日(水)

 今回も武田先生、スタッフのみなさま、大変お世話になりました! 前回に比べて先生や他の助産師さんに慣れた私は、さらに自分を解放して、ある意味好き勝手させて頂いたので、たくさん世間話もさせてもらい、自由にして受け入れて頂けて、とても満足した妊娠~出産、そして産後の生活でした。

 ここで出産・入院できて、また改めて良かったと感じております。美しいご飯と鳥の声、今回助産院だけど、出産が重なったのも他の赤ちゃんの声が聞こえてくるのも楽しいものでした。貴重な体験です。
 菅谷さんと藤澤さんがお産の時にいるといいなぁと思っていたので、2人共呼び寄せてしまったのかもしれません。2人にけっこう付きっきりで陣痛中さすううてもらい寝させてもらい、嬉しい限りです。それにしてもお産はどう進むかいつ始まるかわからないのもで、本当に今回も何度も前駆陣痛で診てもらったり、出産までも3人目だけど11時間で長かったし、何度も何時間も迷惑かけてしまったなぁと…り思ってしまうのです。

 助産師さんって本当に大変なお仕事をして頂き感謝しております。今回も32週までの逆子問題や幼稚園の疲れか、出産間近GW中の長男から私、次男への風をひいてしまい「熱出たらうちじゃ出産できないよ!」との言葉に肝を冷やしましたが、赤ちゃんも私も健康でなによりでした。

 コロナの問題もある中、いつも臨機応変に対応して頂きありがとうございました。私が満たされ穏やかでいられるお陰か、今のところ、3男も落ち着いている様子でとてもありがたいです。ありがとうございます。お世話になりました。
 助産院で産む人ってわずか1%って聞いたので、私も普及していきますね!(笑)

 


2021年5月3日

公開日:2022年07月27日(水)

 <転院から予定日まで>

 37週までは東京女子医大八千代医療センターに通っていました。超ハイリスク(cf、高血圧、妊娠糖尿病、高齢)で検査ではGBSも見つかり、医師に大変心配されました。でも、次男を妊娠中3ヵ月もの間、切迫早産で県外の大学病院に入院していた経験から二度と大学病院には行きたくありませんでした。自己決定権が自分の体のことなのに、そこには無かったからです。
 助産院には、長男の出産の時から関心がありましたが、高齢での初産だし勇気が出ませんでした。ただその時にYMCの情報は集め「いつかここで…」と夢見ていました。
 転機はイギリス留学です。コロナ禍でしたが、今回の第3子妊娠初期~後期を過ごし、NHSやミッドワイフのケアを受けるうちに、入院出産だけが選択肢でないことが示されました。ハイリスク妊婦にも自分に選択肢があるし、遠慮は不要なのです。

 私はHoomBirth(自宅出産)を希望しましたが、笑われることもなく、たしなめられることもなく、HoomBirthのMidwife Teamがその後親身にケアにあたってくれました。
 コロナの隔離政策が各国で厳しくなり、夫も実母も渡英が実現的でなくなり、私が帰国することになりました。

 帰国の後はどうするか? 里帰り出産か次男を出産した元の住居に戻るか問題でした。八千代市に実家があるため市の保健師さんにも相談しました。隔離中2週間は、どこの病院にも妊婦健診にも行けません。

 また、隔離2週間後はすでに35週となるため、新規に産院を探すのも難しいようでした。最終的に市の保健師さんのご尽力で、八千代医療センターに受け入れていただきました。

 そして並行してYMCにも出産可能かどうかを相談し、37週の転院を目指すことになりました。
 花粉症、妊娠糖尿病、途中まで妊娠高血圧の薬を服用していましたが、37週以降はストップし食事制限だけでコントロールしました。だた、美味しそうな旬の素材にスイーツ、お土産店…、予定日までのガマンと言い聞かせても、なかなか生まれそうな気配がなかったので辛かったです。
 それでも実家のありがたいサポートのおかげで37週はあっという間に訪れました。その前に一度、夫と上の子を伴って見学させてもらいました。家庭的な雰囲気と緑の多さ、静かな環境や清潔感、あたたかさがあり、迷わず転院を決めたのです。

 上の子たちは、初めからおもちゃを取り合い騒ぎましたが子どもたちも含めて変な圧力にさらされることなく、なんとか立ち会えるのではとも思えました。


 <予定日以降>

 愚痴になってしまいますが、5/3が予定日だったため、夫はGW中に新生児とのお世話生活を送れると期待していたようです。

 早々4/28には駆けつけてくれたので、5/3が過ぎると「何で生まれないの?」と問われるようになり、苦しかったです。いや、もう私が聞きたいですし、不安なのです。5/3の健診では、武田先生がこの話を聞いて下さり、励ましてもらえたので心強かったです。
 次の検診5/7も何もなくやって来てしまいました。5/5朝におしるしがあったのですが…「四つんばいになる。階段の昇り降り、拭き掃除(床)」をアドバイスされるとともに、陣痛促進のためのひまし油をもらい、夕食後に飲むように助言されました。その日は、実家の床と階段、手すりの拭き掃除をしました。
 かれこれ1か月以上、実家に滞在していながら雑巾で水拭きするのは初めてで、母に頭が下がりました。感謝を込めて拭きながら「エコー写真で胎児の顔がお腹側を向いているので反対向きになるよう、少し四つんばいになったまま腰を揺らしてみて」と助産師さんに言われた事を思い出し実施しました。
 そして夕食後、7時にひまし油を一気に飲み干しました。存外おいしかったです、香ばしくて。カモミールミルクティーを用意してありましたが、お口直しは必要ない程でした。その後、次男と入浴し早々に寝かしつけをし、そのまま寝落ちしてしまいました。

 腹痛で起きたのが夜9時半。腰も痛いと、痛みの強さや長さを確認しようとそのままの体勢でいたところ、ますます強く痛み出し、突然温かい水が垂った感覚が…。破水のようでした。しかし、便意は全く無いのです。YMCに電話をかけると、行くことになりました。

 

 <出産~入院>

 『まさかの黄色い海での出産?』そう思うと、金曜日の雨の夜ということもあってタクシーは呼ばず、妹に車を出してもらいました。眠っていた次男を連れていきました。並行して夫と連絡をとり、YMCに長男と向かってもらいます。

 YMC到着後、車中でつづいていた痛みは、陣痛とはっきりわかる強さになっていました。GBSの点滴を打ってもらいました。院長一人で切り盛りです。困ったのが次男です。胸の上に乗っていたのですが、目がランラン。

 しかし子の陣痛に加えて15㎏は重い! 今振り返ってみると、次男どうしていいのか分からなかったはず…。ごめんね。夫到着後、次男は長男と追っかけっこを始めてしまいました。点滴終了後、いったん夫と子どもたちのいる和室に戻る私。

 菅谷さんともう一方の助産師さんが駆けつけてくださいました。子犬小屋のような和室。夫は、私の腰をさする。私「フーッ、フーッ」と助産師さんに合わせ呼吸。走り回る子ども。強くなる痛み。

(なんでおとなしくできんの!)「ママ死んでもいいの?」「だって…」言ってから後悔するセリフ。
 今思えば、何が起こるか、子どもたちには何をして欲しいか、子どもにもちゃんと話しておくべきでしたし、バースプランにも盛り込めたら良かったと思います。長男は次男出産時にも立ち会っているので、大丈夫かと思ったのですが、次男くん…君やんちゃすぎ! 兄ちゃんと遊ぶ場所と勘違いしてない?
 時々おとずれる便意にトイレに行くも出ず。でも痛みと共に出ている感覚あり。
 血圧が上がる。「まずいなー」という声。私は「痛いです。」「さすってください。」「フーッ」の三語しか話せなくなっていました。次男出産時より陣痛は痛く感じました。途中「無痛分娩に」と口走ってしまいました。
 分娩室に再び戻り、子どもたちと離れた時は正直ほっとしました。ツールを抱くようにしながら意識がもうろうとし、まだ騒いでいる上の子たちの声を聞き「死ぬ時もこんなだろうか…」と想像しました。理想とまるっきり違う。

 賢い良くできた子どもたちと夫が私をいたわり、励ます中で出産…と思いましたが、でも一方で賑やかなのも悪くないなと思ったのです。時間が長く感じました。

 でも血圧が上がっているらしい。感覚として胎児が下りてきている感じがありましたが、伝える心の余裕もなく、2人の助産師さんがなにやら話しているのですが、どれも聞き取れません。どうやら救急車が呼ばれたらしい。院長先生から説明を受けました。子どもが医療センターには入れないので、再び妹に来てもらい、夫が私に付き添う算段です。サイレンが近づき子どもたち大興奮。妹も到着した模様。あとは…。
 菅谷さんが遠慮がちに「お金のことだけど…」と費用説明してくださり、急に私の中で冷静な意識が。(高っ! 病院出産しYMCに戻って来たいけど高っ!)その時スイッチが第3子に入ったようです。「運搬する前に様子を確認しておこうか…」と助産師さんが産道を確認した後、また何かを話していましたが聞き取れません。

 「ぐいぐいきてる」は胎児が下ってきている意味でしょうか?「分娩台に上がって」と聞き取れたので、台に上り院長先生からビーズクッションを差し出されました。これが気持ちよくフィット。

 これまでは陣痛時に「フーッ、フーッ」と痛みをかわすだけでしたが「力入れていいよ」の声が。産道を丸くてぬるぬるした大きなものが通ってくる感覚がありました。それなのに「力いれていい」の意味がとっさにもう分からなくなっていました。

 頭が出た感覚とそれを告げる声。最後、胴や手足の丸いかたまりが落ちてくる瞬間、やっと力を入れることができました。子どもが見えている訳ではありません。抜け落ちた、産み落とした感覚は静かです。子どもが銀のシンク台の方に運ばれていきます。処置する助産師さんの後ろ姿。少し経って赤ん坊の泣き声。まだ小さくか弱い声。声をさらに白い紙箱に入れたような響き。
 妹に聞かせたいと、まず思いました。夫はすぐそばに立っていました。子どもたちの歓声は相変わらずで、もう弟の誕生が理解できても、できなくてもどちらでもよくなりました。

 全員このYMCにいるのですから。考えていたようで考えきれていなかった理想の出産…。現実。自己決定できるようになりたいと選んだYMCでは、少なくとも出産を当事者である自分ののもとして主体的に向き合うことができました。院長はハイリスクを引き受けてくださり、救急隊員の到着後、生まれてきてくれた新しい命。

 子どもたちの世代に男性・女性にとって出産がどれほど重要な行為で、家族にとって大きな意味を持つかこれからも伝えていく努力をしないとなぁ…と思っています。
 入院中は、なんと完全母乳で過ごすことができました。間もなく退院です。夜間、乳腺炎かと思うほど乳房が腫れたときも、院長がナースコールで対応してくれ心強く続けられました。母子完全同室なので、新生児がこれほど豊かに反応し成長していく姿を舌を巻きながら眺められました。

 ちっぽけだと思っていた高齢ハイリスク妊婦の私にも可能性があったことに驚きます。その可能性を引き出してくれたYMC。貴重な経験をありがとうございます。母親となった身体としての私には、充分すぎるくらい理想の出産であったことは間違いありません。

 


2021年4月15日

公開日:2022年07月16日(土)

 この度はたくさんお世話になりました。 子連れ入院がしたく、ネットの口コミを見てこちらの武田助産院を選んだのですが、昔ながらのお産…ということで、初めて受診した時は、とても不安だったことを覚えています。

 でも、毎回とても丁寧に話を聞いてくださったり、人対人という感じがして、回数を重ねるごとに気持ちがほぐれていきました。

 経産婦だったので、出産が近づくにつれて陣痛への恐怖があったのですが、「大丈夫だよー」と笑い飛ばしてくれるのも何だか心地良かったです。


 陣痛がきた際は、常に寄り添って腰をさすってくれたり、呼吸法を教えてくださったり、娘の相手をしてくれたり…私自身は全く余裕がなかったけれどとてもありがたかった…。

 ここでなければ、こんな対応は絶対に受けられなかったんじゃないかと思います。

 強いて言うなら前回は子宮全開からのすぐ吸引…だったので、今回は「切ってくれー」「吸引~」って泣きつけなかったのが残念だったのですが、しっかり産道を通って出て来てくれた間隔は上の子の時には味わえなかったので、終わってしまえばそれもまた良かったかな…って思ったりします。(もう二度とその日には戻りたくないですが…)
 産後は初日から夜間含めて完全母子同室というので驚きましたが、とても幸せな時間を過ごせました。

 母乳のあげ方、添い乳の仕方…、上の子の時にうまくできなかったことを教えて頂いき、実践してうまくいった時はとても嬉しかったです。
 本当に大変なのはこれからだと思いますが、二人目はただただ可愛い…。健診から出産まであたたかく寄り添ってくれた先生方には心から感謝です。武田助産院で出産して良かった!


2021年4月18日

公開日:2022年07月16日(土)

 またこれを書ける日が来るなんて…(涙)

 次男を武田先生にとりあげてもらった時の幸福感、愛おしいと思う気持ちは年々増し、やんちゃな男兄弟に振り回されつつも自然と第3子を待ち望んでいました。

 マイナートラブル(冷えからくる便秘やむくみ、貧血など)オンパレードな私を「まったくしょうがないなぁ」「どうした?」と愛のある言葉で導いてくれる先生。しょうがない私でごめんなさい。でも、先生のしょうがないなぁが抱擁力たっぷりで大好きです。

 

 逆子になり、赤ちゃんと対話する事、何を大事にしたらいいかなど今回も学ぶこと沢山でした。子どもも、私も、家族まるっとありのままで、我が家らしく5人でスタートを切れそうです。
 出産は、夜中のちょろっと破水から午前5:13の出産まであっという間だったはずだけど、何故か超緊張状態が続いていた我が家。途中すごく長く感じるのと不安で「もうダメ!」「出て来ない気がする」と弱音たくさん聞いてもらいました。

 菅谷さんの添える手から神々しいパワーをもらい、波を越えていけました。あちこち体位を変えるもサッと対応して下さり、2人の連係プレーは神業(陣痛の合間、眠すぎてあくびをしたりお腹減ってグーグー鳴るしと思ったら、わめくし、やりたい放題ですみません) 弱々な母を見兼ねてか赤ちゃんがよしっ! 下りよう! と決めて下りて来たのも感じたし、私がいきみたい長さと赤ちゃんが出たーい! の差も感じて感心、最後の方は気持ちいい感じさえありました。

 

 意外な女児の誕生と、そして入院中の大泣きっぷり(笑)にまたいろいろドラマがありそうな予感ですが、それをまた楽しめるエネルギーを4泊の間に頂けた気がします。

 産後のご褒美(パラダイス)よ…終わらないで欲しい。
 藤澤さんはいつも話を聞いてくれて、山下さんは年末に電話くださったり、安心できました。林さんは今回も産後の気持ちにそっと寄り添って頂きました。

 戸田さんとお話した事とっても勉強になり(骨盤の事、赤ちゃんの事)子どもの事も楽しかったです。

 

 

2021年4月15日

公開日:2022年07月15日(金)

YMCをネットで知りすぐに電話をし、自分の理想の場所で産めるとワクワクしてました。39歳高齢初産という高リスクを受け入れて下さり、健診も毎回順調でした。

 YMCをネットで知りすぐに電話をし、自分の理想の場所で産めるとワクワクしてました。39歳高齢初産という高リスクを受け入れて下さり、健診も毎回順調でした。

 4月14日前駆陣痛があり、1度来院しましたが帰宅。 夜再訪しましたが、次の日の朝も子宮口がなかなか開かず急遽みらいさんでの出産。

 理想の形とはなりませんでしたが、産んですぐに武田さんへ帰ります、とごねたくらい(笑)温かいこちらの空間が好きでした。

 次また産むことがあれば、是非お願いしたいです。


2021年3月17日

公開日:2022年07月15日(金)

 <はじめと1人目のとき>

 武田助産院さんに行きたいと思ったのは、自然なお産をしたいと思っていたこと、武田先生のご友人がまさかの私の知人(居合道仲間)で「武田さんならゼッタイ安心よ~!」の一声でした(笑)

 第1子もこちらでお世話になり、その時の安心感とおいしいごはんが忘れられず2人目もしできたら、またここがいいな~と思いました。(産後のマタニティブルーで実家を飛び出しこちらに駆け込んで、夜に武田先生の前で大泣きし、その節はスミマセンでした…)


 <2人目>

 今回、16日に赤い出血まじりのおりものが出て診察するもフライング。「でも遠い未来じゃないよ、今日か明日だね~」といわれ、その日は1日ソワソワとしていました。

 翌17日朝6:00、なんとなく「これ、なんか知ってる痛みだなぁ」と思って30分待って15分、10分…これきたぞ! 主人に連れられこちらに着きました。当日担当の戸田さんは、緊張しているのを察してか気さくに話しかけて和ませていただきました。主人も陣痛の波に合わせて背中や腰をさすってくれました。

 9:00過ぎに最大のビックウェーブが来て「あ゛ぅ゛ぉ~」とかなんとか言う間に武田先生に担がれて(まるでお尻から日の出のイメージ)わずか10分ほどで出産! 2人目、1人目と振り返ると先生や助産師さんが「いいよー頭出てるよー」「力もう抜いてー」と的確な指示とサポートに全てゆだねたら大丈夫なんだという絶対的な安心感があったので、とにかく流れに身を任せればいい! と思って臨んだ出産でした。

(ドラマで手を握って励ますと予想していた主人は、出産中私にまさかの羽交い締めにされ「あれ?」と内心思っていたそうです。ごめんね…笑)


 <まとめ>

 コロナと緊急事態宣言の中、自分や周囲がかかり、「受け入れてもらえないのではないか、母子隔離になるのではないか、立ち合いもできないのではないか」と日々不安でしたが、神奈川からの里帰り出産も立ち合いも面会も受け入れて下さり、なにより診察中「うん! いいねー順調だねー」という明るい先生方の声かけが一番励みになりました。

 産前産後、手厚くサポートして下さり、感謝の気持ちでいっぱいです! もし3人目ができたら、またここで産みたいなー3人目来るかな。幸せな出産でした。ここで産んで本当に良かったです。

(先生の「おしり冷たいなー! カイロつけて!」のサバサバっとした指導が、お母ちゃんぽくてあったかでした(笑 冷えもちゃんとします!)愛だね~愛感じました~


 <おまけ>

 3才の長男も甘々の甘ったれでしたが、今回初の母のお泊り(入院)で不在。父と過ごす4泊5日の中で、ものすごく成長したようです。(ここで初めて取り上げていただいた長男が…と思うと、なんだかじーんとするものがありました。)面会時ドタバタしてすみませんでした。お世話になりました。